
万座の歴史
歴史
万座温泉の歴史はあまりにも古く、最初の発見が何時、誰によってなのかは、いまだに明らかになっていません。ただ、坂上田村麻呂が、万座温泉で鬼退治をしたという伝説が残っているのみです。

熊四郎岩窟
熊四郎岩窟からの出土品によって、先史時代には温泉の利用があったといたといわれています。土器をはじめとする出土品からは、弥生時代には人の住居があったと推測されています。しかし、奥深い土地柄ゆえ、先住民が定住したものではなく、夏季等の入湯者の仮の住居であったと考えられています。
今から600年前の文献によると、既に現在の場所に「まんざ」という地名の仮住みの集落があったことがわかります。仮住みということは、当時、寒さの厳しい万座では越冬できないものと考えられていたことがうかがえます。
また、400年ほど前には、土地の豪族・羽尾入道が万座温泉入湯の留守中に、鎌原城主に滅ぼされたという記録があり、既に万座温泉が多くの人に利用される温泉であったことがわかります。

薬師堂
昔から、豊富な湯量に恵まれ、泉質は20種類を超え、名湯中の名湯といわれていました。質・量ともに優れた温泉として広く知られていた一方で、その奥深い土地ゆえの不便さも知られていたようです。江戸時代まで、万座温泉は街道にも面せず、温泉地としての専門宿泊施設がない等、周辺の温泉地と比べると開発は著しく遅れていました。
明治に入り旅館ができ始めますが、旅館の人々にも大正末期までは冬の寒さが厳しい万座では越冬できないものと考えられていました。万座温泉の冬季の営業が始まったのは昭和10年からになります。
昭和24年に上信越高原国立公園に指定され、昭和31年には万座温泉スキー場が開業します。昭和の終わりには、万座温泉スキー場を舞台にした若者向け映画の大ヒットがあり、万座でスキーを楽しむことは当時の若者のウィンターシーズンのトレンドのひとつにもなりました。
沿革
1562年(永禄五年)
「加沢記」に羽尾入道が入湯の記録。また吾妻八湯の四番目として記されている
1715年(正徳五年)
「万座薬師堂」創建
1764年(明和元年)
江戸の長峰藤吉が「万座温泉を発見」とした文献があるが根拠は乏しい
1765年(明和二年)
長峰藤吉が硫黄稼業を開始
明治初期
田代の橋詰久兵衛が旅舎を建てる
1873年(明治六年)
久兵衛が湯小屋に「日進舘」と名付ける
1897年(明治三十年)
二軒目の宿「常磐屋」を中沢たつが新設
1927年(昭和二年)
「豊国館」開業
1935年(昭和十年)
「大和屋」「松屋」開業
1949年(昭和二十四年)
上信越高原国立公園に指定
1956年(昭和三十一年)
「万座温泉スキー場」営業開始
1963年(昭和三十八年)
「万座温泉観光協会」発足
1977年(昭和五十二年)
万座温泉で「コマクサ祭り」始まる
1987年(昭和六十二年)
万座でスキーをテーマにした映画を撮影